「何の仕事をしているの?」と聞かれたとき、今の私はどうしても言葉を濁してしまいます。
noteの執筆やブログ更新、動画編集、オンライン事務、単発バイトなど、いくつかの仕事を組み合わせて生活していますが、いわゆる「就職」はしていません。世間的には「無職」とみなされるかもしれません。
私のまわりの多くの人は、企業などに勤める“正社員”や“パートタイム”のような雇用形態で働いています。だからこそ、会社に属さず、複数の業務を組み合わせて働いている私のような立場に対し、違和感を持たれるのも無理はないと思っています。
それに、今の収入では「自立して生活している」と言えるほど安定しているわけでもありません。
そんなとき、どうしても「働いている」と胸を張って言いづらくなってしまいます。
ですが本当に、こういった在宅ワークや副業的な働き方は「仕事」ではないのでしょうか。

noteの執筆やブログ運営、動画編集、オンラインでの事務業務など、今では多くの人が挑戦し、収入源として確立しているはずです。
それなのに、これらの働き方はまだ“副業”とか“お小遣い稼ぎ”と見なされ、軽く扱われてしまう場面が少なくありません。
働き方が多様になったと言われる時代に、なぜ複業や在宅ワークは、今も「本当の仕事」として受け入れられづらいのでしょうか。
今日はそんな、言葉にしづらいモヤモヤを少し書いてみたいと思います。
「副業って、ちょっとしたお小遣い稼ぎ?」という世間の認識

副業という言葉が広まり、今では多くの人が「本業の他に少し仕事をしている」ことが珍しくなくなってきました。とはいえ、世間的には依然として「副業=お小遣い稼ぎ」といったイメージを持つ人が多いのも事実です。特に、私のようにnote執筆やブログ更新、オンライン事務など、物理的にオフィスで働いているわけではない仕事の場合、周囲の理解を得ることが難しいこともあります。確かに、私が得ている金額はまだ少ないため、「お小遣い稼ぎしかしていない」と言えるかもしれません。
多くの人が思う副業のイメージは、「本業の隙間時間を使って、ちょっとだけお金を稼ぐ」というものです。現在でも「副業=本業に対する補助的な存在」とみなされがちです。しかし、このような考え方にとどまっていると、副業に対する真剣さや専門性、そして努力の価値が軽視されることもあります。
例えば、私のようにブログやnoteの記事を書いたり、動画編集をしたりすることは、「暇つぶし」や「お小遣い稼ぎ」に過ぎないと思われがちです。しかし、実際にはそれらの仕事には時間もエネルギーも費やし、知識やスキルを身につける必要があります。特に動画編集は、最初は慣れていなかったため相当な時間がかかりました。また、このブログの執筆にも多くの時間を費やしています。さらに、その費やした時間に対して収入が微々たるものであるため、勤め人と同じかそれ以上に労働力を費やしても、得られる収入は見合っていないと感じることもあります。
それでも、自分のライティングやコンテンツ作成が価値を生み、読者や顧客に影響を与えていることを実感すると、それがどれだけ大切な仕事かがわかります。しかし、それでも「副業だから」と軽く扱われることが多く、少し肩身が狭く感じることもあります。
複業という働き方のリアル

「副業」と一口に言っても、その形態はさまざまです。私の場合、noteの執筆やブログ更新、動画編集、オンライン事務、さらには単発バイトなどを組み合わせて、生活に必要な収入を得ようとしています。今はその域には達していませんが、時間をかけて積み上げていくつもりです。これらは一見すると「小さな仕事」に見えるかもしれませんが、実際にはそれぞれがしっかりとした専門的なスキルと時間を要求する仕事です。
例えば、noteやこちらのブログの記事を執筆するには、リサーチを行い、構成を考え、内容を練り、完成させるまでに時間がかかります。そして、読者にとって価値のある情報を提供し続けるためには、更新頻度や内容に工夫が必要です。動画編集やオンライン事務も、決して「空いている時間だけ」でできる簡単な作業ではなく、それぞれに細かなスキルや注意深さが求められます。
これらの複業を組み合わせて働く中で、実際に得られる収入は思ったよりも少ないという現実を感じています。しかし、それと同時に、これらの仕事は決して「簡単で楽なもの」ではないということを、多くの人に理解してもらいたいと強く思っています。
実際に複業をしながら感じることは、時間の使い方が非常に重要だということです。一つひとつの仕事にどれだけ集中して取り組むか、どれだけ自分のスキルを高めるために努力するかが、結果に大きな影響を与えます。複業を成功させるためには、複数のタスクを効率よくこなす工夫やスケジュール管理が不可欠です。そして、正直に言うと、今の私は、勤め人時代よりも時間が足りないと感じることが多いです。
ですが、これらの仕事をすることで得られるのは、単なる収入だけではありません。自分のスキルが向上し、自己成長を感じられる点や、何よりも「自由な働き方」が手に入ることが最大の魅力だと感じています。企業に縛られることなく、自分のペースで自由に仕事を進めることができるのは、思っていた以上に充実感をもたらしてくれます。
ただし、このような働き方には、もちろん安定性や保障がないことも事実です。毎月安定した収入が保証されるわけではなく、すぐに大きな収入を得られるわけでもありません。それでも、日々の努力や経験が少しずつ積み重なり、将来に向けての可能性を広げる手ごたえを感じることができます。
このように、複業という働き方は決して楽なものではなく、安定しているとも言えません。しかし、その分、自己成長を感じられ、自由な働き方ができるという点では、大きな魅力を持っています。
「雇われていない=無職」という違和感

私が感じている大きな違和感のひとつは、「雇われていない=無職」という見方です。確かに、私は企業に雇われているわけではなく、いわゆる正社員という形で働いているわけではありません。そのため、外部から見た場合には「無職」と分類されることが多いのが現実です。そして、私自身も「無職」と答えることが多いのが実情です。
しかし、私は本当に「無職」なのでしょうか? 雇われていないとはいえ、複数の仕事をこなし、収入を得ている人間を「無職」と呼ぶのは果たして正しいのでしょうか? 物理的にオフィスに通っていないことは、一般的な就業形態とは異なりますが、それが必ずしも「働いていない」という証拠にはなりません。
現在、私が取り組んでいる仕事は、確かに雇用主がいないフリーランスや独立した形での活動ですが、それは決して「何もしていない」というわけではありません。自分でスケジュールを管理し、仕事を見つけ、クライアントとやり取りをしながら毎日働いています。もちろん、雇われている人と同じように精神的なプレッシャーや時間的な制約もありますが、その過程や努力が無視されることが多いのです。
さらに、「無職」というレッテルを貼られると、自己評価にも影響を与えます。「無職」という言葉には、社会的に何か不足している、または必要ない存在であるというニュアンスが含まれています。そうした視線にさらされることで、どうしても自分が価値のない存在のように感じてしまうこともあります。
もちろん、私は「無職」という言葉が持つ意味を理解しています。現時点では、今の稼ぎだけでは生計を立てることは難しいので、就職して企業に雇われることを考えています。しかし、それを最終的な目標にはしていません。もし今の仕事だけで生計を立てられるのであれば、無理に勤め人にならなくても良いと思っています。雇われて働くことの方が税金や社会保険料の面では楽だし、確定申告の手間も省けます。
それでも、雇われて働くことがすべてではありません。フリーランス的に働き、自分の力で稼げるのであれば、それでも立派な仕事人です。「雇われていない=無職」と一概に決めつけるのではなく、多様な働き方や価値観を認める社会になってほしいと切に思います。
働き方に“正解”なんてない

働き方に正解はない、と私は感じています。副業やフリーランスという働き方が広まりつつある今でも、未だに「副業=お小遣い稼ぎ」や「雇われていない=無職」といった古い価値観が根強く残っています。確かに、私も現在は在宅でオンライン事務を始め、動画編集やnote・ブログ更新などの仕事をしているため、周囲からは理解されにくい部分もあります。しかし、それらの仕事にはそれぞれ専門的なスキルや時間を要しており、決して「楽な仕事」ではありません。
私が感じている最大の違和感は、雇用されていないことを「無職」とみなされる点です。フリーランスとして働き、収入を得ている自分が無職というレッテルを貼られることに疑問を持っています。もちろん、安定した収入を得るためには企業に雇われる選択肢もありますが、必ずしもそれが唯一の正解ではありません。
現代においては、働き方は多様であり、どの形態が最適かは一人ひとり異なります。「副業」や「フリーランス」という選択肢が浸透してきた今、これらを「お小遣い稼ぎ」として片付けるのではなく、もっと真剣に評価する社会になってほしいと強く思います。結局のところ、働き方に正解はなく、自分に合った方法で生き生きと働けることが一番大切なのだと感じています。
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