横須賀の歩んだ昭和 横須賀市自然・人文博物館にて

横須賀

こんにちは。

先日、横須賀市自然・人文博物館で開催されている特別展「横須賀の歩んだ昭和」を見学してきました。この展示では、昭和時代を通しての横須賀市の歴史・文化・暮らしの変遷を、豊富な資料や写真とともに振り返ることができます。

開催期間は2025年7月19日から12月28日までと長期にわたっており、じっくりと時間をかけて観覧できるのも魅力の一つです。

昭和を知る世代には懐かしく、若い世代にとっては新鮮な発見のある展示内容となっており、地元・横須賀に興味がある方、昭和の暮らしや文化に関心がある方にはぜひおすすめです。

主な概要

令和7年(2025年)は、昭和元年(1926年)から数えてちょうど100年目という大きな節目の年にあたります。
また、昭和20年(1945年)の太平洋戦争の終戦(敗戦)から数えて80年目という意味でも、歴史的に非常に重要な年となります。

この特別展では、昭和100年目・終戦から80年目という節目の年を記念し、当時の貴重な映像や資料を通じて、横須賀が歩んできた昭和の歴史を紹介しています。

展示コーナーでは、戦前に横須賀を世界最大級の軍港にすべく進められていた「大横須賀市構想」に関する歴史的公文書のほか、旧日本軍の遺物、さらに終戦直後に米軍が横須賀へ上陸した際の貴重な写真資料などが公開されています。

特に「大横須賀市構想」では、当時の逗子市など周辺自治体との合併を視野に入れた壮大な構想があったことが紹介されており、現在の横須賀からは想像もつかない都市計画の一端を知ることができます。

戦後の横須賀の姿

終戦から復興した日本にあって、横須賀もその復興に重要な役割を果たしています。

左側に展示されていた写真は、戦後間もない時期の横須賀の街並みをとらえたものです。特に一番上の写真からは、現在よりもさらにアメリカ色の強い“アメリカナイズド”された雰囲気がはっきりと感じられます。

戦後の横須賀は、「東洋最大の米軍基地のある街」として再出発を切り、復興と発展を遂げていきました。米軍の存在は、文化・経済・生活面に至るまで深く影響を与えており、今日の横須賀を語るうえでアメリカの影響は欠かせない要素となっています。

また、戦前の横須賀は日本海軍の重要な軍港として栄えた歴史ある都市でしたが、現在ではその役割を引き継ぐように、約80年にわたり米軍基地のある街としての歩みを重ねてきています。まさに、軍港都市・横須賀の歴史は、日米双方の軍事的背景と深く結びついていると言えるでしょう。

日産とビクター

横須賀の街の発展を語るうえで、欠かせない二大企業があります。
それが、日産自動車と日本ビクター(JVC)です。

まず一つ目は、日産自動車追浜工場。この工場はかつて横須賀市の経済を支える重要な存在でしたが、近年になって生産拠点の撤退が発表され、大きな話題を呼んでいます。高度経済成長期以降、多くの地元住民が日産で働き、追浜地区の発展と密接に結びついていた歴史があります。

もう一つは、音響機器メーカーとして世界的にも知られる日本ビクター(JVC)です。ビクターの存在もまた、横須賀のものづくり産業を支えてきた大きな柱でした。特に戦後の日本における音響・映像文化の発展と共に、地域経済や雇用に貢献してきました。

今回の特別展では、これら横須賀の産業を支えてきた代表的企業の歴史や当時の工場の様子がわかる資料や写真も展示されています。横須賀の過去を知るだけでなく、街と企業の関係性を学べる貴重な機会となっています。

最後に

今回訪れた「横須賀の歩んだ昭和」特別展は、戦前・戦後を通じて横須賀がどのように変化し、どんな歴史を歩んできたかを実感できる非常に貴重な展示でした。
軍港としての歴史、米軍基地の存在、日産自動車やビクターといった企業の発展など、多角的に横須賀の昭和を振り返ることができる内容となっており、地元の方はもちろん、歴史や昭和文化に興味のある方にも強くおすすめできます。

会期は2025年12月28日までとなっておりますので、お近くにお越しの際はぜひ足を運んでみてください。

アクセス情報

横須賀市自然・人文博物館

住所 神奈川県横須賀市深田台95 046-824-3688

開館時間 9:00~18:00 休館日は月曜日 アクセス 横須賀中央駅から約15分

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