こんにちは。私は藤沢市で生まれ、横須賀市で育ちました。これまでの54年間のほとんどを、湘南・三浦半島地域で過ごしてきました。
もっとも、成人後は30年以上にわたって東京都内や横浜市内へ通勤していたため、実際に過ごした年数ほどには、湘南や三浦半島に「住んでいる」という実感を持ちにくい面もありました。
しかし、昨年7月に早期退職してからは地元で過ごす時間が増え、次第にこの地域に暮らしている実感が強まってきました。
そこで今回から、何回かに分けて「私と湘南・三浦半島との関わり合い」と題し、この地域との縁や思い出について綴っていきたいと思います。第2回は、40年間住んでいる横須賀市です。
横須賀に「転校」する

私が中学2年生の1学期、それまで住んでいた藤沢市から「家庭の事情」で横須賀市へ引っ越し、人生で唯一の「転校」を経験しました。
まだ中学2年生だった当時――少し大げさかもしれませんが、それまでの学生生活が一変しました。比較的おとなしい生徒が多かった藤沢の中学校に比べて、転校先の中学は正直、かなり荒れていたのです。そんな環境に私はなじめず、ひたすら「おとなしく振る舞う」ことでやり過ごしていました(実際におとなしかったというより、そう見せていたに過ぎません)。
高校に進学しても、その馴染めなさは解消されることなく、思春期の転校経験が学生時代を通して尾を引く結果となりました。結局、横須賀市で同級生だった人とはその後一切関わりがなく、今でも横須賀に友人と呼べる人はいません。それが40年以上続いています。
そうした経緯もあってか、私にとって横須賀市にはいまだに「負の印象」が残っています。もちろん、この印象はあくまでも私個人の主観的なものであり、横須賀市そのものに問題があるわけではありません。ただ、私の原風景がそうだった以上、どうしてもその印象から完全には自由になれず、今も心に残り続けているのです。
横須賀の良さを徐々に認識

とはいえ、40年も横須賀に住んでいるうちに、その良さは徐々に分かってきました。
今から20年以上前のことですが、それまで暮らしていた団地を離れ、人生で初めて「自分の持ち家」を持つことになりました。住宅ローンを組んでの新たな生活のスタートでしたが、思えばこの頃から、横須賀という土地に対する見方が少しずつ変わり始めたように思います。
それまでは、横須賀市に住んでいながら、地元の美味しいお店や観光名所にはほとんど足を運んでいませんでした。皮肉なことに、それらを訪れるようになったのは30代に入ってからです。歴史散歩サークルを始めたことで、徐々に横須賀の散歩コースも歩くようになり、道すがら歴史を感じる場所に触れる機会が増えていきました。
横須賀といえば「米軍の町」という印象が強いかもしれません。しかし実際には、戦前から日本海軍の本拠地としての歴史があり、さらにさかのぼれば幕末期、小栗上野介が横須賀に大製鉄所を建設しようとし、それをフランス人技師ヴェルニーが完成させたという逸話もあります。また、同じ横須賀市内の浦賀には、かつて浦賀奉行所が置かれており、あのペリー率いる黒船艦隊が来航した際には、浦賀奉行所が対応にあたりました。その時、奉行所で実務を担っていた中島三郎助は、後に戊辰戦争の終盤・函館戦争で壮絶な最期を遂げています。
こうした史実に触れるたび、横須賀には誇るべき歴史や人物が数多くいるのだと実感します。
歴史好きな私にとって、特に幕末から近現代にかけて、横須賀が日本史の重要な舞台となっていたことは、とても誇りに思えることです。
退職後、横須賀に住んでいる実感が強まる

勤め人だった時代、私にとって横須賀市は「帰って寝る場所」という位置づけでした。友人と会うのもほとんど市外で、横須賀で誰かと食事をしたり、出かけたりすることは稀でした。たまに歴史散歩サークルで地元を案内することはありましたが、自分ひとりで横須賀を歩き、ひとりで食事をするのが常でした。(今もそれは変わりませんが)
そんな意識が少しずつ変わり始めたのは、2024年6月末、長年勤めた組織を早期退職してからのことです。退職後は通勤という日課がなくなり、地元で過ごす時間が格段に増えました。時折、単発バイトで働くことはありますが、勤務時間は勤め人だった頃に比べてはるかに少なく、その分だけ横須賀で過ごす時間が増えていったのです。
その時間を活かし、地元の名所や美味しいお店に足を運ぶ機会も少しずつ増えました。ただ、それ以上に感じるのは、「生活の拠点」としての横須賀の実感です。日々の買い物、行政手続きのための役所通い、病院への通院など、ごく当たり前の日常のひとつひとつが、「私はこの街で暮らしているのだ」と自覚させてくれます。
おそらく私は、この横須賀の今の住まいで生涯を全うすることになるのだと思います。数年前には地方移住を考えたこともあり、今でもその思いが完全に消えたわけではありません。しかし、現実的に考えれば、これからも横須賀で暮らしていくことになるでしょう。そうであればこそ、この街を少しでも愛し、大切にしていくことが何より大事なのではないかと感じています。
もしかすると、これは「横須賀と私の腐れ縁」とでも言うべきものかもしれません――言葉の選び方は少し悪いかもしれませんが。
最後に
生まれ育った藤沢に比べると、横須賀には今でもどこか複雑な感情が残っています。実際には、圧倒的に横須賀で過ごした時間の方が長いのに、それでもなお藤沢にこだわる自分がいる――我ながら少し不思議にも思います。
けれども、おそらく私はこの横須賀の地で人生を終えることになるでしょう。だからこそ、今後はこの街を少しでも愛し、大切にしていきたい。そう思えるようになってきました。
今度は、そんな私の「原点」である藤沢と、現在の「生活の拠点」である横須賀を、少し比較してみたいと思います。
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