こんにちは。私は藤沢市で生まれ、横須賀市で育ちました。これまでの54年間のほとんどを、湘南・三浦半島地域で過ごしてきました。
もっとも、成人後は30年以上にわたって東京都内や横浜市内へ通勤していたため、実際に過ごした年数ほどには、湘南や三浦半島に「住んでいる」という実感を持ちにくい面もありました。
しかし、昨年7月に早期退職してからは地元で過ごす時間が増え、次第にこの地域に暮らしている実感が強まってきました。
そこで今回から、何回かに分けて「私と湘南・三浦半島との関わり合い」と題し、この地域との縁や思い出について綴っていきたいと思います。第1回は、生まれ育った藤沢市についてです。
藤沢市に生を受ける

私エーショー西郷は、1970年10月29日18時36分(推定)に藤沢市の某産婦人科で生を受けました。幼い頃より私は当初は藤沢市内の羽鳥という場所に住み、3歳の頃川名という境川に面する地区の社宅住まいとなり、13歳までそこで暮らします。
13歳の夏までの滞在なので約10年間ほど住んでいた計算となりますが、幼い頃の10年間は、恐らくは成人後の数十年に匹敵する長さを実感したかと思います。なので、私の生活や性格の基本形成はここで造られ、その思い出が強烈に残っているのです。
幼稚園も小学生も、この川名地区近隣のところに通っています。川名地区はJR藤沢駅にほど近い場所であり、海からはやや遠いところにあります。川名は海よりも境川・柏尾川の合流地点でもあり、田畑や森林が比較的多いところなので、私は海よりも川や森林のイメージが強く残っています。
海の藤沢を実感できなかった幼少期

このような環境で育ったこともあり、私は「海の街・藤沢」という実感を、幼少期にはあまり持たずに過ごしてきました。
思い返してみても、江ノ島へ行ったり、片瀬海岸で泳いだりした経験は数えるほどしかなく、幼い頃は湘南の海に対して、特別な思い入れがあったわけではありません。むしろ、成人してからの方が、湘南海岸や江ノ島の風景に魅力を感じるようになり、特に江ノ電から眺める海岸線や夕暮れの情景に、次第に惹かれていった気がします。
そもそも藤沢市全体で見ると、海に面しているのは南部だけで、大部分は内陸部に位置しています。その意味では、「藤沢=海」というイメージだけでは語りきれない、多面的な都市であるとも言えるでしょう。
私が通っていたのは、新林小学校という学校です。ここは片瀬山の北側にあたり、当時は森林や田畑が広がる自然豊かな地域でした。在学中には、その自然環境の開発に対して一部の教員が懸念を示し、「開発についてどう思うかを考える」という授業が行われたことを、今でも覚えています。
その後、この地域は再開発を経て現在の「新林公園」となり、自然を活かした立派な公園として整備されましたが、当時は開発に反対する声も少なくなかった記憶があります。
そうした経緯もあり、私にとって藤沢の思い出は、海よりもこの新林地区の森林や田畑といった風景に結びついています。実際、このあたりでよく遊んでもいました。ただ、私は昆虫や生き物がやや苦手だったため、自然の中でもそれらに触れることにはあまり積極的ではありませんでしたが──。
藤沢を離れてから好きになった

中学2年生の夏(1984年)、私は家庭の事情により、それまで暮らしていた藤沢市を離れ、現在も暮らしている横須賀市へ移り住みました。それ以来、横須賀には約40年間住んでおり、年数だけで見れば、藤沢よりも圧倒的に長い在住歴になります。
しかし、幼少期を過ごした藤沢での記憶がいまも強く残っているため、私にとっての「心のふるさと」は、やはり藤沢だと感じています。
藤沢を離れてからの最初の15年間、私は一度も藤沢に足を運ぶことがありませんでした。この間、横須賀でも、また会社勤めの中でも、なかなか親しい人間関係を築けず、孤独や苦労を多く味わいました。また、藤沢時代の友人や幼なじみとは連絡が途絶えており、「今さら会いに行くのもなあ」という気持ちが先立ち、あえて訪れることを避けていたのです。
そんな中、30代になって知り合った友人の一人が藤沢在住だったことをきっかけに、私は再び藤沢の町を訪れるようになりました。
久しぶりに訪れた藤沢の街並みは、私が知っていた頃と比べて大きく様変わりしていました。駅前は大きく発展し、かつて住んでいた地域も変化していました。その一方で、当時住み始めていた横須賀市は徐々に発展が停滞していたため、藤沢の変化がより際立って感じられたのかもしれません。
こうして再び藤沢の街に触れるうちに、私の中で藤沢への思いはますます深まりました。幼い頃の思い出がよみがえるとともに、改めて「自分の心の故郷はやはり藤沢だ」と、強く感じるようになったのです。
最後に
藤沢で過ごした幼少期の10年は、年数以上に私の感性や価値観の土台を形づくった、大切な時間でした。思春期を迎える頃に横須賀へ移り住み、そこからの40年間をこの地で過ごしてきましたが、年月の長さだけでは測れない「原点」というものが、やはりあるのだと感じます。
藤沢を離れてしばらくは、当時の友人たちとも疎遠になり、足を運ぶ気持ちにもなれませんでした。けれど、あるきっかけから久しぶりに訪れた藤沢の街は、すっかり姿を変えていて──その変化のなかに懐かしさと、どこか切なさを覚えました。
その時、改めて思ったのです。私の「心のふるさと」は、やはり藤沢なのだと。それは、生まれた場所というだけではなく、今の自分をかたちづくる根っこが、確かにそこにある──そう実感しています。
※※※ 当サイトはアフェリエイト広告を掲載しております ※※※





コメント